くすの木 3月号
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2●★筑後川 早津江川★★佐野三重津海軍所跡『佐賀市教育委員会提供』444444264183020大隈重信の残した言葉「時代は人が作る。 人は学んで作られる。 絶えず学んで、絶えず行動せよ」佐野常民記念館三重津海軍所跡大隈重信記念館記念公園●スポーツスタジアム トウヤ佐賀店材木橋●銀のさら正覚寺平山漢方鍼灸院●了関橋日本の近代化の基盤を作った鍋島直正公は、将来を見据え、人材育成を大事として、財政困難の中、弘道館を整備し優秀な人材を輩出し育成していきました。今回は、佐野常民記念館と大隈重信記念館でその軌跡をたどってみました。ドライドッグ遺構『佐賀市教育委員会提供』三重津ドームシアター大隈重信記念館大隈重信生家佐野常民記念館【場 所】 佐賀市川副町大字早津江津446-1【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)【休館日】 月曜日(祝日の場合は翌日、年末年始)【入館料】 無料・二階展示室300円【TEL】0952-34-9455 【FAX】0952-34-9465大隈重信記念館【場 所】 佐賀市水ヶ江二丁目11番11号【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)【休館日】年末年始(12/29~1/3)【入館料】大人300円、小・中学生150円【TEL&FAX】0952-23-2891佐野常民記念館『佐賀市教育委員会提供』柳の内佐賀市立中川副公民館●早津江郵便局●早津江橋西片田江大隈重信記念館入口龍谷高校東龍谷高等学校佐野常民記念館その優秀さで抜擢され、弘道館から江戸へ遊学し、優れた人材を連れ帰り、医学から、理化学研究の方へと範囲を広げ、国内初の反射炉、鉄製大砲、実用蒸気船などに携わりました。明治には西洋式灯台の建設や、内国博覧会の開催など活躍の場を広げ、明治10年、敵味方なく負傷者を救護する「博愛社」(後の日本赤十字社)を創設しました。「博愛 これ仁という」仁とは、人をいつくしむこと。三重津海軍所跡幕末佐賀藩の洋式海軍の拠点である「三重津海軍所」。発掘されたドライドッグの木組み遺構は西洋技術を取り入れ、伝統的な土木技術を用い、有明海の干満差を巧みに利用した先駆的な様式の乾船渠(ドライドッグ)として築造された遺構です。みえつスコープVR機器を使った体験型コンテンツです。首からみえつスコープをかけて、音声ガイダンスを聞きながらスコープをのぞくと160年前の三重津海軍所のパノラマが広がります。三重津ドームシアター三重津海軍所創設に至る幕末佐賀藩のストーリーが直径6mのドームの中で、まるで海の中、空の上を自由に飛び回っているような感覚で映し出されて、圧倒されます。大隈重信記念館佐賀で蘭学を学び、長崎では英語や近代思想を修める。明治政府では鉄道建設、太陽暦を取り入れ、新通貨の発行など様々な活躍をしました。大隈重信の自発的な成長を見守り育てた母、三井子。大隈重信に「自分の番頭」とまで言わしめた綾子夫人。そういうあたたかい環境の中、負けず嫌いで、不屈の精神を持ち、議論好きで、数々の演説で人々を魅了し、晩年まで知識の吸収に努めた努力の人でした。明治維新150年佐賀、幕末から明治へ 佐賀藩から日本へ

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